素晴らしき日高屋の世界 その1
最近全く更新してなかった…
ネタは溜めてるんだけど、書く気になれず…
というわけで飯ブログ。
皆さんは、日高屋をご存知だろうか。
そう、都内はおろか、埼玉、千葉、神奈川と首都圏で支配的な店舗数を誇る大衆食堂である。
結論から言おう、驚くべきはあらゆる面におけるクオリティである。
1.徹底された立地
全て駅近、そして1階。
大戸○は2階にもあるが、日高屋は1階である。
バリアフリーにも考慮され、素晴らしい。
上の画像を見てわかる通り、実は首都圏は日高屋に支配されていると行っても過言ではないだろう。
2.どの店舗に行っても、同じメニュー
洒落た店舗限定メニューなど、ない。
俺たちが望むのは常に食べたいものがそこにある環境だ。
首都圏であればいついかなる時でも、食べたいのもが食べられる。
ジョジョの君妙な冒険の第7部、プッチ神父は世界を1巡させ、「幸福」についてこう言った。
「たとえば、五年後の未来何が起こるのか?人類全員がそれを知っている。加速した時の旅で、自分がいつ事故にあい、いつ病気になり、いつ寿命が尽きるのか?すでに体験してここにきた。人といつ出会い・・・そして別れるのか?戦争がいつ起こり、時代がいつ変わるのか?誰に恋をし、誰を憎むのか?自分はいつこどもを産み、子はどんな成長をするのか?誰が犯罪を犯し、誰が発明や芸術を生むのか?頭脳や肉体ではなく、精神が体験して覚えて知っているのだ!悪い出来事の未来も知ることは「絶望」と思うだろうが、逆だッ!明日「死ぬ」とわかっていても「覚悟」があるから幸福なのだ。「覚悟」は「絶望」を吹き飛ばすからだッ!」
いや違うね。
幸福とは食べたい時に食べたい(例えばラ・餃・チャセット)ものを食べることだッ!!!
(でも期間限定のモツ野菜ラーメンはレギュラー化してほしい。)
3.どの店舗に行っても、同じ味
ここの店が美味い、不味いはない、徹底された味。
4.全店舗共通の接客クオリティ
日高屋の接客は常に一定だ。
無愛想な中国人店員。
遅めに出される水。
会計の時に笑顔なんてない、聞こえてくるマニュアル的な「ありがとうございました」のみ。
そこに感謝の意はない。
なぜなら、日高屋で飯を食うことは闘いなのだと教えてくれるから。
目の前の料理と対峙し、料理と胃袋の真剣勝負。
例えばモツ野菜ラーメンは100gのモツが入っている。
食べ終わった後、その深淵のような豚骨スープにモツが隠れているのかもしれない緊張感。
箸を使い、あてのないモツを探す不安との闘い。
俺たちをあざ笑うかのように、レンゲを巧みにすり抜けるモツ。
もうモツはないかもしれない、それでも俺たちはモツを探す。
モツを捉えた、と思ったらキャベツだった時の絶望感。
最後のモツを食べきった時の甘美なる勝利の実感。
そう、日高屋は戦場なのだ。
そこに店員の笑顔や優しさや丁寧さはかえって戦士たちに油断や隙を与えてしまう。
それは全店舗同じだ、一切の妥協はない。
もう一度言おう、日高屋は戦場だ。店員はその戦場へ誘う、言わば寡黙な道案内なのだ。
5.マイ日高屋のススメ
これは誰にも教えたくなかったのだが、日高屋にはメダロット並みのカスタマイズ性がある。
これはマイ日高屋第1作目の「半チャーハンとアジのフライ定食」である。
これは500円を切る値段で作れる定食だ。
これはこの記事では割愛し後ほど詳しい記事にするが、コスパ最強である。
…
いかがだっただろうか。
今後日高屋は音もなく我々を支配するであろう定食屋だ。
それはこのブログで詳しくリーサーチを続けていく。
(特命リサーチ200X 風)